2019年10月16日

技と造形の縄文世界 〜4〜

令和元年9月7日(土)〜11月4日(日)の会期で、秋季企画展『技と造形の縄文世界−形と文様にみる美の心−』を開催しています。
縄文文化の「技と造形」をテーマに、類なき造形世界≠ご覧いただきます。
企画展をより楽しんでいただくために、なじょむ&もんたが見どころを解説します!(全7回)

異素材の融合 −石と土の協演−

縄文時代の人々は、様々な素材を用いて、多様な道具を作り出していました。
異素材の融合1.JPG
しかし、植物や動物などの有機質製素材は土中で分解され溶けてしまうため、私たちが主に目にすることができる素材は粘土と岩石です。

縄文時代の人々は、粘土と岩石という性質の異なる素材で、同じ形の道具を作り出していました。その中で特に顕著なのは三角≠フ道具です。
異素材の融合2.JPG
三脚状の石製品や土製品、人体状の表現を取り入れた三角形土偶や三角形岩偶などがあります。

三角柱状の土製品や石製品もあります。
異素材の融合3.JPG
これらから、三角という形が当時の世界観の中で大きな意味を持っていたと推測できます。

その他にも、「石棒と土棒」、「土偶と岩偶」、「石冠と土冠」、「土版と岩版」とそれぞれ対称的に存在します。
異素材の融合.JPG
木製品や骨角製品もあった可能性があり、多様な素材を利用して造形していたと考えられます。

これらが何に使われていたのか、なぜ異なる素材で同じ形の道具を作り出していたのかは、大きな謎です。

(5に続く)


posted by なじょもん at 09:15 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月14日

技と造形の縄文世界 〜3〜

令和元年9月7日(土)〜11月4日(日)の会期で、秋季企画展『技と造形の縄文世界−形と文様にみる美の心−』を開催しています。
縄文文化の「技と造形」をテーマに、類なき造形世界≠ご覧いただきます。
企画展をより楽しんでいただくために、なじょむ&もんたが見どころを解説します!(全7回)

石と土の装身具 −飾りと手工芸の世界−

身を装うということは、いつから始まったでしょうか。
日本では、後期旧石器時代の北海道に石製装身具の出土事例があり、その中にはロシアとの関わりも指摘されている橄欖石(かんらんせき)製のものもあります。
石と土の装身具1.JPG
そして縄文時代へと時代は移り変わりますが、草創期においては遺跡から出土する装身具の数は多くありません。

縄文時代早期末葉〜前期初頭には、装身具の種類が増加します。
玦状(けつじょう)耳飾(玦飾)やヘラ状石製品などはこの時期に登場します。
石と土の装身具2.JPG
玦飾と箆状垂飾(へらじょうたれかざり)は列島を越え、東アジア地域から出土する様相が明らかとなっています。このことから、日本の玦飾の起源を大陸に求める考え方があります。

東日本における玦状耳飾は石製品として歴史上に現れ、時期をあけて土製品が登場します。
石と土の装身具3.JPG

前期中葉〜後葉には、ヒスイが装身具の素材として着目されます。
中期にかけてヒスイ製装身具は列島各地へと広がり、その存在感を確固たるものとしてゆきます。
石と土の装身具4.JPG
ヒスイに対する思い入れは、その後、装身具としての形は変えつつも縄文時代を通じて継続し、弥生時代へと受け継がれてゆきます。

日本において耳飾りが登場するのは、縄文時代早期と考えられています。
耳への装着の仕方は耳たぶに孔をあける、所謂ピアスでした。
石と土の装身具5.JPG
前期後半に出現する土製玦状耳飾は、その後臼形の土製耳飾りへと形を変えてゆき、後・晩期の滑車形耳飾へと至ります。
耳たぶに空けられた孔には時に直径10p以上の耳飾を嵌めることさえあったのです。

(4に続く)


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2019年10月11日

技と造形の縄文世界 〜2〜

令和元年9月7日(土)〜11月4日(日)の会期で、秋季企画展『技と造形の縄文世界−形と文様にみる美の心−』を開催しています。
縄文文化の「技と造形」をテーマに、類なき造形世界≠ご覧いただきます。
企画展をより楽しんでいただくために、なじょむ&もんたが見どころを解説します!(全7回)

カタチ成る礫 −石に込めた技と祈り−

縄文時代の人々にとっての石≠ヘ、生活必需品として幅広く用いられ、使用目的に応じた石の大きさや石の質などが選択されています。
ここには、用途に適応するような形に製作されたものもあれば、反対に用途と直接的に関係しない文様が彫刻されたものもあります。
なぜ用途に関係しない文様を描くのか――そこには石≠ノ対する縄文人の世界観が示されているのかもしれません。

植物加工や石器の加工道具と考えられる磨石(すりいし)・敲石(たたきいし)・石皿などの礫(れき)石器は、縄文時代になり出土量が増加します。
カタチ成る礫1.JPG
縄文時代の始まりにあたる草創期は、礫に対して彫刻や加工を施す技術がまだ発達しておらず、川原石をそのまま使用していました。
こうした磨石・敲石・石皿(台石)は、縄文時代を通じて使用される道具でした。

縄文時代前期になると、礫石器の形が大きく変化します。
成形された石皿の初期的な形態は、使用する中央部分を彫りくぼめることで、周りが「縁」状に小高くなります。
カタチ成る礫2.JPG
さらに、手前側の一部分のみ「縁」をなくし、掃き出し口が作り出されます。

カタチ成る礫3.JPG
中期後半になると複数の脚が作り出された脚付石皿などの特徴的な形態も登場します。

縄文時代中期には、礫に彫刻して文様を施す技術が登場します。
その代表が彫刻石棒と彫刻石皿です。
カタチ成る礫4.JPG
石に彫刻する技術は、非常に手が込み、かつ時間をかけます。
彫刻石棒は大形のものが多く、石材の獲得から成形するまでに大変な労力が必要となります。
縄文時代の人々にとって精神世界を示す必要不可欠な儀器でした。

元々は堅果類の加工具であった石皿にも、彫刻が施され、文様が付けられます。
カタチ成る礫5.JPG
なぜ文様を必要としたのかは不明ですが、彫刻石棒同様に大変な労力をかけていることは間違いありません。

(3に続く)


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