2019年10月14日

技と造形の縄文世界 〜3〜

令和元年9月7日(土)〜11月4日(日)の会期で、秋季企画展『技と造形の縄文世界−形と文様にみる美の心−』を開催しています。
縄文文化の「技と造形」をテーマに、類なき造形世界≠ご覧いただきます。
企画展をより楽しんでいただくために、なじょむ&もんたが見どころを解説します!(全7回)

石と土の装身具 −飾りと手工芸の世界−

身を装うということは、いつから始まったでしょうか。
日本では、後期旧石器時代の北海道に石製装身具の出土事例があり、その中にはロシアとの関わりも指摘されている橄欖石(かんらんせき)製のものもあります。
石と土の装身具1.JPG
そして縄文時代へと時代は移り変わりますが、草創期においては遺跡から出土する装身具の数は多くありません。

縄文時代早期末葉〜前期初頭には、装身具の種類が増加します。
玦状(けつじょう)耳飾(玦飾)やヘラ状石製品などはこの時期に登場します。
石と土の装身具2.JPG
玦飾と箆状垂飾(へらじょうたれかざり)は列島を越え、東アジア地域から出土する様相が明らかとなっています。このことから、日本の玦飾の起源を大陸に求める考え方があります。

東日本における玦状耳飾は石製品として歴史上に現れ、時期をあけて土製品が登場します。
石と土の装身具3.JPG

前期中葉〜後葉には、ヒスイが装身具の素材として着目されます。
中期にかけてヒスイ製装身具は列島各地へと広がり、その存在感を確固たるものとしてゆきます。
石と土の装身具4.JPG
ヒスイに対する思い入れは、その後、装身具としての形は変えつつも縄文時代を通じて継続し、弥生時代へと受け継がれてゆきます。

日本において耳飾りが登場するのは、縄文時代早期と考えられています。
耳への装着の仕方は耳たぶに孔をあける、所謂ピアスでした。
石と土の装身具5.JPG
前期後半に出現する土製玦状耳飾は、その後臼形の土製耳飾りへと形を変えてゆき、後・晩期の滑車形耳飾へと至ります。
耳たぶに空けられた孔には時に直径10p以上の耳飾を嵌めることさえあったのです。

(4に続く)


posted by なじょもん at 09:17 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする