2020年10月20日

千曲川―信濃川流域の縄文文化 〜4〜

令和2年9月5日(土)〜11月3日(火・祝)の会期で、秋季企画展『千曲川―信濃川流域の縄文文化−火焔土器前夜の世界−』を開催しています。
企画展をより楽しんでいただくために、なじょむ&もんたが見どころを解説します!(全4回)

五丁歩土器の周辺 −焼町土器と大木式土器−

<焼町土器の世界>

信濃川を上流に進み、千曲川の上流域(主に東信地方)には、焼町土器と呼ばれる特徴的な土器が存在します。
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その曲線文様などから、新潟県域における火焔土器との関係で捉えられてきた経緯をもちますが、類例の増加とともに独自の土器群として認識が改められてきました。
焼町土器の中心地は、千曲川上流域の東信地方にあります。

製作は厚手の作りで、鉄分の多い粘土を使うため赤黒い焼き色が特徴です。
雲母・石英の混入例が多くみられます。
器種の大半は深鉢で、台付鉢が少数あります。
浅鉢は皆無です。
装飾は直線的な分帯・区画を避け、縦横に流れる曲隆線文を基軸に構成されています。
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古い段階の土器には、器面に縄文を施文する特徴があります。
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分帯・区画を避ける構成は、隣接型式の中では五丁歩土器との類似度が高く、火焔土器と大きく異なる点です。

<大木式土器の世界>

縄文時代中期には、東北地方南部を中心として「大木式土器」が分布します。
大木式土器は周辺地域に対して大きな影響力を持って存在していた土器群で、新潟県域でも例外ではありません。
信濃川最下流から会津地方へ向かう阿賀野川流域は、その大木式土器文化の様相が色濃く反映されています。

大木式土器の大きな特徴は、まずもって縄文≠施文するところにあります。
これまで概観してきたように、火焔土器・五丁歩土器・焼町土器には基本的に縄文≠施文しません。
そして、五丁歩土器・北陸系土器、焼町土器と大きく異なるのが、器面を分帯・区画することにあります。
そして、その構造は火焔土器と良く類似しています。火焔土器のルーツの一端が、ここにも認められるようです。
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こうした独自の在り方を保持していた大木式土器は、新潟県域の中でも多く出土しています。
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新潟県内で土器の編年を組む時、まずもって大木式土器をその基準としていることからも、存在が目立つことがわかります。
 
(おわり)


posted by なじょもん at 13:45 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月11日

千曲川―信濃川流域の縄文文化 〜3〜

令和2年9月5日(土)〜11月3日(火・祝)の会期で、秋季企画展『千曲川―信濃川流域の縄文文化−火焔土器前夜の世界−』を開催しています。
企画展をより楽しんでいただくために、なじょむ&もんたが見どころを解説します!(全4回)

火焔土器の成立前夜 −「初期火焔・初期王冠」と五丁歩土器の世界−

火焔土器は、いったいどのように成立したのでしょうか。
新潟県を象徴する縄文時代の土製造形物である火焔土器は、約5,000年前に突然と現れ、およそ4,700年前には忽然と姿を消します。
私たちにとっては突発的な消長現象に見えますが、事物の成立には必ずきっかけ≠ェ存在します。
しかし、現在の研究成果では、火焔土器が成立するきっかけ≠ヘ未だ掴めていません。ここでは、「初期火焔」と呼ばれる土器の様相を探ります。

そもそも、火焔土器の大きな特徴は、@頸部と胴部のT字状区画、A鶏頭冠状突起から底部までまっすぐ下りるラインの「鶏頭冠状突起→ハート形窓→トンボ眼鏡状突起→縦位隆線(津南町の火焔型土器にのみ、縦位隆線の中に袋状突起が付く)」という構成のモチーフ群、Bそのモチーフ群が4単位に配されることによって生まれる4面の施文域、D隙間なく埋められた隆線の束などが挙げられます。
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王冠型土器の個別的な特徴を挙げれば、短冊状突起左上に見られる抉りも重要です。
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では「初期火焔」はと言うと、@火焔土器が底の深い深鉢形土器≠ノなるのに対し、「初期火焔・初期王冠」土器は比較的小形で浅めの鉢形土器≠ニなる傾向が強い、A火焔土器に顕著となる鶏頭冠状突起(火焔型)や短冊状突起(王冠型)は未発達で、トンボ眼鏡状突起・袋状突起も顕著にならない、B鶏頭冠状突起に付くハート形窓≠焉Aこの段階では円形を呈していたり、短冊状突起に見られる左上の抉りも施されない、C「鶏頭冠状突起→ハート形窓→トンボ眼鏡状突起→縦位隆線」という直線的モチーフ群に関してはまだ表現されない、D火焔土器の胴部が密集した隆線の束で施文しているのに対して沈線間の空白部が多く、EJ字・逆J字状文やS字状文などに替わり、蕨手状の横位または縦位モチーフが施文されたり、印刻される三叉文も施されており、後述する五丁歩土器との共通性が強いです。
横位の蕨手状モチーフ(渦巻き)が下巻きになるに対し、火焔土器は上巻きになり、ここにも大きな違いがあります。
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また、F異系統土器の文様要素と折衷することも大きな特徴で、火焔土器には認められません。
「対向状弧線文」や「三角パネル文」と呼ばれるものが、それにあたります。
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この火焔前夜の頃に存在していた在地土器群が、「五丁歩土器」と呼ばれる一群です。
五丁歩土器の特徴は、@文様を描く際にまず隆帯と隆帯に沿った側線で渦巻文や懸垂文といわれる文様を描きます。
これを主文様といいますが、主文様の間には平坦な空白部があり、円形や三叉状に陰刻して空白部が少なくなるように文様を描き、隆帯などの主文様とこの三叉文によって文様の大部分が描かれます。
そして、A突起の形にも大きな違いがみられます。
口縁部にみられる突起では、蝸牛状突起(かたつむりを横向きにしたような形状の突起)や左右の両側面に円孔をもつ双環状突起やコイル状突起などがあり、突起の形に多様性がみられます。
B頸部〜胴部の文様は、五丁歩土器は構成が多様で、バリエーションも豊富です。
火焔土器とは異なり、胴部を縦に4分割するものは少ないようです。
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この五丁歩系土器は、富山県や石川県方面の「北陸系土器」と親和性が高く、ルーツはそこに辿れる可能性があります。
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(4に続く)


posted by なじょもん at 14:33 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月06日

千曲川―信濃川流域の縄文文化 〜2〜

令和2年9月5日(土)〜11月3日(火・祝)の会期で、秋季企画展『千曲川―信濃川流域の縄文文化−火焔土器前夜の世界−』を開催しています。
企画展をより楽しんでいただくために、なじょむ&もんたが見どころを解説します!(全4回)

「千曲川―信濃川」を取り巻く縄文文化 −資源環境とその利用−

縄文時代の人々は、ムラ周辺の自然環境や自然資源を把握し、森と共生していました。
木や植物、骨角などの有機質資源と粘土、砂、岩石(鉱物)などの無機質資源を巧みに加工し、道具をつくり出します。
ここでは、特に石器の材料となる岩石について紹介します。

非常に長い千曲川―信濃川には、その支流も含めて石材が産出される地帯が多く点在しています。
千曲川上流域である源流から渓谷地帯には頁岩・砂岩・チャートなど、佐久盆地東側の八風山周辺には無斑晶ガラス質安山岩が分布します。
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中下流域の上流側には、志久見川、中津川、清津川の3支流が流れ込み、無斑晶ガラス質安山岩、頁岩、多孔質安山岩、ドレライトなどが分布します。

このように、長大な千曲川―信濃川には多様な石器石材環境があり、これらの資源を縄文時代から利用してきました。
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これらは、遺跡周辺の人々がその地域で利用することが主です。
しかし、黒曜石やヒスイ、蛇紋岩類のように遠くまで運ばれ、利用される石材もあります。

上田盆地にそそぐ依田川や大門川の上流域に、本州最大規模とされる黒曜石原産地があります。
この原産地は、太平洋―日本海分水嶺を境に南西側の諏訪系と北東側の和田峠系、男女倉系があります。
津南町の遺跡から出土した黒曜石原産地分析を概観すると、旧石器時代には、和田峠系産が多く利用され、縄文時代になると諏訪系産が多く利用される傾向があります。

標高1,450mを超える星糞峠の和田峠系原産地では、黒耀石原石を地下資源として生産しています。
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現代の地表面にも「採掘址」と呼ばれる凹み地形が残っており、そこを発掘調査することで多くのことがわかってきています。
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斜面のほぼ中腹に当たる「第1号採掘址」では、縄文時代早期と後期(加曾利B1 式土器)に大規模な黒耀石の採掘活動が展開していた様子と、採掘行為の実態が明らかになってきています。
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採掘作業は、平滑な作業空間をつくりだすために造成を行ったり、積み上げた採掘排土の崩落を防ぐ木製の防護柵などがつくられたり、工夫が凝らされています。
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採掘活動に伴う道具として、両端を尖鋭に削り出した木製の掘り具、一股の鹿角、笹系の植物を組んでつくられたザルが出土しています。

(3に続く)


posted by なじょもん at 11:53 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする